アーカイブの考察

 

貴族にとっての資料の集積・保存

京都市左京区に陽明文庫(ようめいぶんこ)という歴史資料館があります。陽明文庫は、昭和13年(1938)に、近衛家第29代当主であり内閣総理大臣も務めた近衛文麿によって設立されました。旧公爵近衛家に伝来した十数万点にも及ぶ古文書、古典籍、美術工芸品などを保存管理しており、建物自体も国の登録文化財建造物となっています。藤原道長の日記である国宝「御堂関白記」を所有しており、平成25年にユネスコ記憶遺産に登録されたことは有名です。

陽明文庫は、近衛家(藤原家)が朝廷の政治や儀式に携わる中で作成した記録類、文書類を多数受け継いでいます。近衛家は、藤原鎌足を祖とし、藤原房前に始まる藤原北家の嫡流の家柄です。平安時代中期には藤原道長を輩出し、貴族社会の中心をなす家として続いて行きます。その中で生まれた記録類や文書類は、単なる当代の業務記録や日記ではありません。儀式や政務に関わる記録や文書は後代の政務の拠り所として活用されていました。また、これらの資料の集積は、“家”の権威を支える要素ともなっていました。今でもそうですが、当時の政治は前例が非常に重視されていましたので、近衛家(藤原家)だけではなく、貴族(公家)にとって資料の集積、保存は、最も重要な作業でした。

これらの資料は、戦火や火災を受けながらも、当時の人々の手によって救出、保存されてきました。明治以降は、主に京都大学と宮内省図書寮で保管され、陽明文庫設立にともない、保管場所を統合して今に至ります。これだけの資料が遺されたのは、累代の資料を分散させることを禁じ、護り伝えることを重視した近衛家の熱意に拠るところが大きいのではないでしょうか。

この膨大な資料は、国文学研究資料館による調査や撮影、国際日本文化研究センターによる「御堂関白記」を含む古記録の訓読文データベースの公開などで、資料の利用促進が進められています。今、私たちが展示や自宅のパソコンでこのような貴重な資料を簡単に見ることができるのは、多くの人々の努力の積み重ねがあるからです。資料保存の方法やシステムも非常に大事ですが、その根本にあるべきものは、遺すべき資料を遺そうとする人の熱意であることを実感させられます。

会社によって、アーカイブをめぐる状況は千差万別ですが、このような先進的な取り組みから学べることは多いと思います。

 
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