アーカイブの考察

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古代から存在する歴史資料のアーカイブズ

「アーカイブ」という言葉は、日本では新しい言葉ですが、歴史的資料の収集、保管、編纂などの事業は、古代から途切れることなく行われてきました。

最古の歴史書である『古事記』や『日本書紀』は、それまでに存在したといわれる『帝紀』や『旧辞』などの歴史資料を編纂したものですし、有力な寺院では、国内はもとより、中国や朝鮮半島、遠くインドや西欧からも文献を集めていました。

平安時代には、天皇の命により国家機関のデータベースである『延喜式』全50巻が編まれ、中世には「足利学校」や「金沢文庫」が創建されるなど、各地にアーカイブズが構築されています。

江戸時代に入ると、幕府は江戸城に『御文庫』(紅葉山文庫)を設けて、古典籍にはじまり各種書籍や地図などを収集しました。ここでは、単に集めるだけでなく、図書奉行の管理のもと、貸し出しや鑑定、目録の編纂や補修、虫干しなども行われていました。

庶民のレベルでも、遊女や遊廓のデータベースである『吉原細見』や、江戸各地の名所を詳細なイラストとともに解説した『江戸名所図会』が、とぶように売れたと言います。需要の高い情報の集積と整理、公開が成功した一例といえるでしょう。

江戸期の歴史編纂事業で最も著名なのは「天下の副将軍」第二代水戸藩主徳川光圀がはじめ、水戸藩の事業として継承された『大日本史』の編纂でしょう。人気 ドラマ「水戸黄門」では、「諸国漫遊」したことになっていますが、実際に光圀自身が「漫遊」したわけではなく、スタッフを全国に派遣しての古文書や古記録を採訪させました。

さまざまな故事については必ずその出典を明記し、原稿ができてからも、塙保己一ら第一線の学者たちの手によって原典との照合、校閲が綿密になされました。 250年の年月をかけ全397巻を編纂したこの事業こそは、江戸期のアーカイブズの集大成ということができるでしょう。

 
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