アーカイブの考察

 

アーカイブズを経営資源とみなした岩崎弥太郎

 2018年は「明治維新」から150年目にあたり、博物館や美術館で関連の企画展が催されました。「明治維新」により政治的あるいは経済的な変化がもたらされ、明治初期にはいまも現存する会社が誕生します。1873年には、岩崎弥太郎が三菱商会を設立し、海運事業を興します。当時も現在と同様に、業務を円滑にすすめるため文書管理の問題に、多くの会社が直面していました。1875年5月に「三菱汽船会社社則」を制定し、文書管理者の設置を成文化しました。それによれば、書記課事務長の役割は、「会社一切」の文書や記録を管理すること、また分類を設け記録を「編纂」することにありました。つまり、事務長は、レコードマネージャーとアーキビストを兼任するという重責を果たしたといえます(三菱商事株式会社『三菱商事社史』資料編、1987年、109頁)。

 また、1876年には貿易商社の三井物産が誕生します。本店は東京に置かれましたが、ひろく海外通商を展開するため上海、香港、ロンドン、パリ、ニューヨークに店舗を配置します。本店は、店舗の事業概要のほか、商品価格の動向、生産量の推移を把握するため、店舗に対し年2回の業務報告すなわち「考課状」の提出を義務付けました。さらに、店舗網が拡充するしたがい、本店は月次統計などの提出を求め取引関連情報の収集にあたります。その一方で、店舗側にすれば事務の負担感が高まり、本店と店舗間で軋轢が生じました。

 つまり、作成者と利用者との温度差は、何も民間企業に特有の問題ではありません。公文書の場合でも、作成者(官庁)と利用者(国民)との間で、同じようなことが起きることは、すでに多くのメディアで報道されている通りであります。多くの有識者が指摘するように、アーカイブズが後世に継承されるか否かは、記録管理のあり方が影響することは明らかです。そう考えると、アーカイブズを経営資源とみなした岩崎弥太郎の慧眼に学ぶべきことは多いのではないでしょうか。

社史・アーカイブ総合研究所 研究員 白田拓郎

社史・アーカイブ総合研究所

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