アーカイブの活用

 

外国航路石炭夫日記(広野八郎)

私文書のアーカイブで、大規模なものとしては、国立国会図書館憲政資料室に収蔵されている政治家などの文書群や、三井文庫、三菱史料館などがよく知られています。研究者たちも、これらを使って研究をすすめるのが「常道」となっています。地方においても、残されている文書史料のほとんどは、名主や名望家といわれるような、指導者層や裕福な人たちのものです。

名もなき人たちや、貧しい庶民たちは、そもそも、十分な教育を受けられなかったために文書を作り得なかったか、作ったとしても、それを次世代に継承していくような余裕がなかったため、残りにくいということもいえます。民俗学の世界では、柳田国男や宮本常一らによって、庶民の暮らしの諸相に目が向けられ『日本庶民生活史料集成』などに集約されましたが、アーカイブの世界での蓄積はごく僅かです。

先日、広野八郎著『外国航路石炭夫日記』(石風社刊)を読んで、衝撃を受けました。日本経済を底辺で支えた彼らの苦しみが痛いほど伝わってきます。昭和初期の外航船員の過酷な労働と日々の煩悶が、当時の日本の末端労働者に共通する悲劇そのものであり、当時の資本主義社会の実像を端的に提示するものであることが、嫌でもわかります。たとえばインドの小さな港にも春をひさぐ日本人女性がいて、わずかな給料はたいて遊ぶ船員たちとは「共喰い」の関係だ、という冷徹な指摘があります。不況のどん底で苦しむ、 名もなき人たちの、ぎりぎりの生活の一端を垣間見るようです。

政治家や名望家の残したものからだけでは見えてこない歴史の実像というものがあります。これから、意識的に「名もなき人たち」のアーカイブを探して残していかなくてはならないと強く思いました。

 
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