アーカイブの考察

 

東寺百合文書とアーカイブ

平成27年10月10日、ユネスコ(国連教育科学文化機関)は、「世界記憶遺産」として「東寺百合文書」の登録を決定しました。これらの資料は、従来から学術的に大変貴重なものとして人々に利用されてきましたが、あらためて人類共通の財産として認められたことは、非常に喜ばしいニュースであると思います。

「東寺百合文書」は、古代から近世にかけて東寺が収集・作成した約2万5千点の資料群です。この資料群は、特に日本中世史研究の重要史料として多くの研究者が利用しており、現在は京都府立総合資料館のホームページ上でデジタル画像を閲覧することができます。デジタルアーカイブとして広く公開されていることが、この資料群のいくつかある特徴のひとつですが、今回注目したいのは、江戸時代から何度か資料整理が行われ、詳細な目録が作成されてきたことです。

よく知られていますが、「百合」という名前の由来は、加賀藩第5代藩主の前田綱紀が貞享2(1685)年に、100箱の桐製文書箱を東寺に寄贈したことからつけられたものです。その際に行われた整理を基礎として、明治20(1887)年に、京都府と修史局(政府機関)が「東寺古文書目録」を作成しました。その後、昭和42(1967)年、京都府が「東寺百合文書」を購入し、京都府立総合資料館がこれまで知られてこなかった未整理資料を含めて整理作業を実施しました。整理作業の中心は目録作成で、目録は1点ごとに文書の番号・日付・文書名・内容・差出人・受取人・形状・紙数・備考を記入するというものでした。この成果は、昭和51(1976)年『東寺百合文書目録』(第一~第五)として結実することになります。京都府立総合資料館が公開しているデジタルアーカイブ(「東寺百合文書WEB」)には、この時作成した目録情報に加えて、「人名」・「地名」・「寺社名」などいくつかのキーワードとなる語句を掲載し、検索の利便性をより高めようとしています。

このように「東寺百合文書」は、江戸時代から資料整理作業が行われてきたからこそ、多くの人々に利用されてきました。その結果、国の重要文化財に指定され、さらに「世界記憶遺産」へと登録されることになったのです。最近「アーカイブ」という言葉を多くの場所で耳にする機会が増えてきました。ただ一部では、「アーカイブ=資料をデジタル化すること」と考えられています。しかし、資料はデジタル化すれば、即活用できるものではありません。「東寺百合文書WEB」が画像と目録をセットで公開しているように、その資料固有の情報もあわせてリスト化しなければ、円滑な利活用は望めません。資料固有の情報を整理することが、目録作成などを含む資料整理作業です。「東寺百合文書」の世界記憶遺産登録までの過程をみると、資料整理作業の重要性をあらためて実感します。

 
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