アーカイブの考察

 

言葉の言い換えと現実の乖離

東京電力は3.11の福島原発事故発生当時、「炉心溶融」(メルトダウン)の可能性が高いにもかかわらず、「判断する根拠がなかった」として2ヶ月後の2011年5月まで「炉心溶融」を認めず、「炉心損傷」と称していました。その後、この炉心溶融の判断遅れを新潟県の泉田知事に追及され、5年後の16年2月、東電は炉心溶融を判断する社内マニュアルの存在を見過ごしたことが原因だったと発表しました。そして今回(16年6月)、その原因を検証するため設けられた第三者委員会は、当時の清水正孝社長が「炉心溶融」という言葉を使わないよう社内に指示していたと発表したのです。ということは、事故を小さく見せるため意図的に、「炉心溶融」を「炉心損傷」と言い換えていたことになります。世の中ではこれを隠蔽と言います。炉心溶融(メルトダウン)は、原子炉内の核燃料が溶け落ちるという、原発の最も過酷な事故であり、溶けた燃料が圧力容器を破壊し,大量の放射性物質を放出するからです(過去にスリーマイル島とチェルノブイリの両原発事故あり)。

このような言葉の言い換えは、何も東電の例だけに限りません。安倍政権は、軍用武器の輸出を禁じた従来の「武器輸出三原則」を「防衛装備移転三原則」という耳触りのよい言葉に言い換えて、実質的に武器が輸出できる国へと改変しました。ともかく、われわれ日本人は「言葉の言い換え」により現実を糊塗することが上手なようです。太平洋戦争に負けた時、日本人は「敗戦」を「終戦」と言い換え、「占領軍」は「進駐軍」と言い換えたわけです。

どうも日本人は、現実を直視し、現実に向き合うことが好きではないのです。何か問題があっても,突き詰めて原因を追及しようとはせず、うやむやにしてしまうことが多いのです。先に挙げた東電の原発事故もいまだに真の原因が掴めていませんし、これだけ深刻な被害を招き、これだけ大きな傷跡を残しながら未だに誰も責任を取っていません。このような社会では、記録を残し、記録を活用する営みは育ちません。現実に向き合わず、すべてをうやむやにしてしまうのなら、記録は必要ないからです。しかし本当にそれでよいのでしょうか。記録によって過去を検証し、そこに教訓を見出して行かなければ、人々は同じ過ちを何度も繰り返すことになるでしょう。われわれはこのことを真剣に考える必要があると思うのですが、いかがでしょうか。

 
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