アーカイブの考察

 

震災のアーカイブ構築

東日本大震災の発生から年月が経過して、まだまだ震災前の状況には程遠いものの、めざましいスピードで復興が進んでいるようです。生活インフラの整備が優先され、後回しになっていた文化財の修復などにも、ようやく手が付けられるようになり、国立国会図書館で、岩手県指定有形文化財「吉田家文書」の本格修復が開始されることが報道されました。「吉田家文書」は、津波で全壊した陸前高田市立図書館が所蔵していた100冊余りの文書群で、幸い書庫にあって流出を免れ、岩手県立博物館を経て国立国会図書館東京本館へ搬送され、今後2年間をかけてカビの除去や損傷部分の補てん等の修復作業が行われるということです。
震災の記憶と記録をどう残していくかということについても、本格的な論議が始まり、各地で様々な試みがはじまっています。気仙沼市では、100総トン以上の大型船が17隻も陸上に打ち上げられましたが、JR鹿折唐桑駅前にある全長約60メートルの「第18共徳丸」(総トン数約330トン)以外はすべて海に戻されたり解体されたりして姿を消しました。「第18共徳丸」も解体予定でしたが、市は津波被害を象徴する船として残すため、市の復興計画に船の保存を含む公園整備を盛り込みました。しかし、この船の存在は辛い出来事を思い出させるものとして保存に反対する声も少なくないとのことで、今後の動向が注目されます。
震災のアーカイブズ構築については、1995年の阪神淡路大震災後の先例があり、神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ『震災文庫』などの形で集大成されています。被災地の復興過程を記録する定点観測に取り組む仙台市宮城野区のNPO法人「20世紀アーカイブ仙台」は、「ツイッター」などを使って、写真の投稿を呼び掛け宮城県内から寄せられた1万8千枚のうち1500枚を抽出し、3月に写真記録集「3.11 キヲクのキロク」を出版しました。(河北新報社Kolnet 2012/9/19)
阪神淡路大震災の当時には、想像もできなかったデジタル機器やインターネット上の各種サービスの普及で、新しいアーカイブズが形成されつつあります。これらをいかに次代に伝えていくかが、課題と言えるでしょう。

 
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